車を買ってみた
先日車を買った。5年のローンを組んで。
今でも何か血迷った決断だったかもしれないと思うことがあるのだが、買い物としては特に後悔はない。良いものが買えたと思っている。
不思議なのは今まで自家用車を持とうと僅かも考えなかった自分がどのように車を持とうと意識を変えたか、その点だ。
自家用車という存在がずっと疑問だった
陸上長距離を移動する・させる機械として、電車やバスやトラックはその存在の必然性を感じる。鉄道は大きい重量のものでも効率よく運搬できるし、バスやトラックは輸送規模に応じた形状をしている。もっと小さい移動手段としては人力で車輪を動かす自転車が大変便利だ。自転車の人力移動を最適化した機能美には感動する。その間の、自家用車はどうか。片手ほどの人数を運ぶのに少し大げさすぎないか。トゥクトゥクあたりが最適解ではないだろうか。
最近の基準で言えば自家用車には当然に屋根のある密閉された空間があり、座り心地の良い椅子があり、荷物を載せる場所があり、乗っている間は空調を効かせてオーディオを楽しめる。そんな贅沢が「移動」のために必要だろうか。お金持ちの人が贅沢で持つものとしては理解できるが、ほとんどの家族が持っているものとして妥当だろうか。
調べてみたら令和6年4月の自動車の保有車両数は8266万台だそうだ。日本の世帯数は5570世帯。世帯あたり約1.5台。不思議で仕方がない。
自家用車の価値を知らなかったわけではないはず
かく言う私の実家にも2台の自家用車があった。親が運転し、自分はよく助手席に乗っていた。地方に住んでいたので車の恩恵は比較的大きく受けたと思う。買い物や外食に行くのも車だったし、車での旅行やドライブに近い遠出にも行った。
免許を取ってからは親の車を借りて走らせたこともある。自分でハンドルを握り走らせた上で、特段楽しくもなかったし便利とも感じなかった。少し話は変わるが小型船の操縦桿(エンジンの向きを直接変える方式のもの)を少し握らせてもらったことがある。仕組みは分かった。速度を上げたり下げたり向きを変えたり。珍しい体験だったが「ほほう」という程度のものでもある。車の運転や車で移動することについても丁度同じように「ほほう」という程度のものだった。
車があれば無論便利ではあるが、例えば一軒家にエレベーターがあったら便利だというようなもので、無くても困らない存在だったのだ。先に書いたように地方の住まいではあったが田舎と言うほどの場所でもなく、自転車があれば十分便利だった。むしろ自転車の方が便利だったかもしれない。大荷物を運ぶ必要のあることはめったになかったし、駅で自転車を止めて電車に乗れば町のど真ん中へまっすぐ移動できる。
思い出してみると畑に犬を連れて行くには車が便利だったかもしれない。だがそれは車を持っていたからそうしていただけで何もないところに車と犬と土地を買って畑で犬を遊ばせに行こうと考えるかと言えばそんなことはない。自家用車はあれば便利だが、自家用車がないことで生じる不便は小さかった。
コストに釣り合う価値があるのか
つまるところ自家用車という存在はバブル景気で普及した贅沢品がなんとなく滅びずに残っているというような印象で、自分のものとしては考えられなかった。
学生の頃は金がないのだから自家用車なんて検討もしないが働き始めてある程度お金が自由になったとき、買い物の選択肢に自家用車は入ってこなかった。
それでも移動の利便性を考えるとき選択肢に入ってきたのはタクシーだった。今でも金額面で考えればおよそ正しいのだ。自家用車を持てば駐車場と任意保険だけでも年間30万円、ガソリン代や有料道路の料金、整備費用などを考えると50万円近い。タクシーなら年間約1500kmも利用できる計算になる。あるいは半日程度の貸し切り(8時間で4万円程度)を毎月できる。車で通勤するわけでもないのだから旅行に使うことを考えてもまずタクシーで十分だ。
今回買った車は400万円だ。10年乗って乗り潰すとして10年で維持費込みの900万円。この金額なら贅沢の方向性としてファーストクラスで海外旅行なども十分に見えてくる。
結論、自家用車はとても割高。
道路を使わないという損失
車を持つメリットは少々の贅沢として考えればなくはない。では車を使わないデメリットはどうだろうか。これは今まであまり考えもしなかったが、実際かなり大きい。
日本では地価の高い都会でも人のまばらな田舎でも車を走らせるための道が整備されている。元々車が通れるほどの道ではなかった場所も建築基準法によって4mもの幅のある、つまり車の通れる道路へと作り替えられている。その土地が便利であるために、一定面積は車のための道路に使わざるを得ないのだ。一般道は徒歩でも自転車でも使える道とは言え、その幅員の大半は自動車のために使われる。実際に車に乗ってみてもありとあらゆる場所に車で進入できることにはなかなか驚かされる。幅2m、長さ5mほどの「四角」がどこもかしこも通れるのだ。それは例えば救急車や消防車がどこにでも行けるようにというインフラが備えなければならない機能ではあるのだが、そこに便乗して一般人も救急車と同じだけ自由にあちらこちらへ巨大な「四角」を連れ回せるというのが面白い。これは使わないのが損と言って差し支えないだろう。
高速道路はどうだろうか。高速道路の大半は通行料がかかるため受益者負担で運営されていると考えることもできるが、野山を切り開いて国中に自動車専用の構造物を張り巡らせるというのはやはり特権的な行いに違いない。実際に高速道路を使ってみると本当に便利なのだ。先日は遊びで大阪から和歌山県古座川町まで車を走らせた。魔界の様な大阪の下道も和歌山への行く手を塞ぐ和泉山脈も複雑な海岸線沿いの街も高速道路に乗ってしまえば影響しない。信号も歩行者も存在しない道路ではオートクルーズに任せて半自動で進むことさえできる。好き好きに曲がったり立ち止まったりすることはできないが、それだけに線路を通る鉄道に近い秩序がある。大変快適なE26・E42旅であったが、残念なことに現時点では高速道路はすさみ南が終点となり古座川町までは少し下道を走ることになる。魅力溢れる国道42号だ。海沿いに景色の開けた気持ちの良い道路であるが、ここを走るのが大変に疲れる。カーブや勾配が連続する上に地元の車のペースが大変に速い。サーキットを走っているでもないのに左右への加速度に体が持っていかれる。大阪中心部からすさみ南までの高速道路150kmとその先の42号での40kmほどは実に同程度ほど疲労感を得るものだった。途中までとは言え高速道路がなければ古座川町へ気楽に遊びには向かわなかっただろうし、日程ももう一日増やす他無かっただろう。かかる大変便利な高速道路旅はほとんど自家用車を持つもののみに与えられるものなのだ。これを利用できないという損失は文明にして100年分の差と言えよう。
結局、車を持つべきなのか
分からない。これだけ書いても分からない。車に乗って楽しいかと言えば楽しい側面は確かにあるが未だに人を轢いてしまわないか恐怖とリスクを感じているし、お金はかかるし気もかかるし運転にしても楽ではない。車に乗って旅行に行くのだってタクシーで済ませる手もあるだろう。
子育てなり介護なり、だれか他人を任意のタイミングで運ぶ必要があれば手放せない存在なのかもしれないが私の場合はほとんど趣味で乗っているため絶対必要ということもない。もし明日から車には乗れないと言われてもちょっと残念な程度だ。
車について一つ気付いたことがある。サイズについて。自家用車の幅2m長さ5mほどというサイズは「家族」のサイズなのだ。車というものが世界中で普及しているのはある意味で色々なサイズ”ではない”からだ。必ず家族の大きさになってそれを移動させる。バイクからバスまで様々な動力付き車両が登場した中で自家用車は家族を運ぶものとして進化して、今の姿に落ち着いた。
家族を持たずに車を持つ、それがきっとイビツなのだ。家族も車も私にはどうも要らないような気がする。